日本における香りの歴史

538年、仏教と共に香りが伝来

画像はwikipediaより:日本の歴史上「香」について最も古い記録は、「日本書紀」(奈良時代)によるもの

日本でお香が用いられるようになったのは、538年仏教とともに伝来したと言われています。日本の歴史上「香」について最も古い記録は、「日本書紀」(奈良時代)によるもので、そこには、595年、淡路島に香木が漂着したことが記されています。

奈良時代、中国から鑑真和尚が我が国初の「香の製法(調法)」を伝授

画像はwikipediaより:鑑真和尚によって「香の製法(調法)」が伝授される

奈良時代になると、貴族をはじめとする権力層において仏教は盛んになります。奈良時代半ば頃、鑑真和尚が来日し、その時、仏教建設、仏像製法と共に漢方薬の処方(作り方)、我が国初の「香の製法(調法)」が伝授されたと言われています。鑑真和尚が渡来の際に準備したとされる「持参品目録」には、「麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、甲香(かいこう)、甘松(かんしょう)、龍脳(りゅうのう)、安息(あんそく)、桟香(せんこう)、零陵香(れいりょうこう)、青木香(あおもっこう)、薫陸(くんろく)…」など、お香作りに用いる香の記載があります。それらの一部が現在も、「正倉院宝物」に収蔵され、有名な「蘭奢待(黄熱香)も収められております。

平安文化と共に香遊び(薫物合せ)が花開く<雅(みやび)=足し算の思想文化>

画像はwikipediaより:香遊び(薫物合わせ)は「源氏物語」にも登場

こうして、奈良時代中後期から始まったとされる「お香作り(調合)はやがて平安時代になると貴族たちの香遊戯として盛んに用いるようようになり、貴族の生活の一部(教養)となったとされています。中でも、「薫物合せ(たきものあわせ)」という日本独自の香遊びが貴族の間で流行しました。「薫物合せ」とは、互いに自ら作成(調香)した香(薫物)の出来栄えを競う遊戯で、それ以前の主流であった「仏の香=供香」とは異なった、自らの暮らしのエッセンスとしての「趣味の香」であり、平安貴族を象徴する文化の一つとなりました。また、それらを詳細に記した「薫集類抄(くんしゅるいしょう)」が今日に残されています。

鎌倉時代、武家社会の中で侘び寂びの文化が広まり、沈一種が主流に<禅宗=引き算の思想文化>

画像はwikipediaより:枯山水などに象徴される侘び寂びの文化が香りの文化にも波及する

その後、鎌倉時代から始まる武家の世に於いても「香」は武家の教養として盛んに用いられました。また、武家の思想や価値観に影響を及ぼした「禅宗(臨済禅)」の教え「簡素」「清浄」「静寂」により「無用性を省いた侘び寂びの文化」が広まり、建築、書画、作庭などにも伺えます。香の用い方、考え方にもその宗風は影響し、平安貴族の用に種々の原料を調合して一つの香(焼香や薫物)を作ることを好まず、各種香料の中に於いて最も良いとされる「沈香木(伽羅)」のみを主に用いる「沈一種(じんひとくさ)」が主流(流行)になっていきました。

室町時代、「香道」が確立

画像はwikipediaより:「御家流(おいえりゅう)」の創始者は、三条西実隆

そして、室町時代、「日本の三大芸道」として「茶道」「華道」とともに「香道」が確立しました。この時代に成立した「御家流(おいえりゅう)」と「志野流(しのりゅう)」の二派が今日まで継承されています。

江戸時代、檀家制度とともに庶民の間で「お香」が広まる

画像はwikipediaより:歌舞伎役者の間でもお香が流行

香道は江戸時代初期大いに栄えたと伝えられますが、やがて禅宗(臨済宗)の衰退などと相まって、香道は下火となっていったことが記録に残っています。

それと同時に、庶民の間でお香が広く知られものとなったのもこの頃になります。徳川幕府は、禁キリシタン政策として「寺請(檀家)制度」を行いました。結果、国民全員がいずれかの仏教徒(檀家)となることになり、仏教と仏教儀礼が国民に浸透し、この頃から今日のような庶民も仏壇を持ち、僧侶が庶民の葬儀を司るようになりました。そして、仏教において仏(死者)を供養する際に欠かせない「焼香儀礼」も広く庶民の知るところとなり、江戸時代初期より焼香の製造が中国より伝わり、より簡単に使用できる香の出現によってお香はより身近なものとなっていきました。

芸道文化の書物の出版とともに、「香」に関する庶民の認識が深まる

『女重宝記』2巻 艸田寸木子(くさだすんぼくし)著 1692年(元禄5)刊国立国会図書館所蔵

また、芸道界に於いては、江戸時代より弟子から御財を頂戴し稽古をつける「家元制度」が確立し、本来上流層のみの嗜みであった各種芸道は庶民の間にも流行したとされています。そのような江戸時代に出版され、大人気を博したとされる日本帰女子のマニュアル本ともいえる「女重宝起」等には、「香」に関する詳細な記載がされており、当時の「香」に関する庶民の認識の深さ、重要性が伺えます。

明治時代、鎖国解禁=欧化政策により、日本の文化は価値がない物として急速に衰える

画像はwikipediaより:欧化政策により、「鹿鳴館」などに象徴されるように西洋文化が流行

明治時代に入ると、欧化政策により、既存の日本文化はなんら価値のない物と判断され、多くの美術品は破棄されたり海外に持ち出されてしまいました。香に関しても、急速に衰えていきました。

昭和時代、合成香料が主流に

画像はwikipediaより:供養としての「お香:が主流に

昭和時代、敗戦後、供養の増加に伴い「香」の需要は伸びたとされていますが、輸入に頼るしかない正規の香料(沈香や白檀)は入手困難を極めたため、国内で採取される「杉葉、桧葉、桜、栂」などを線香や焼香の香料代用品として用いられました。当然、これらは「良い香り」がするものではなく、あくまで代用品でしたが、以後も同様に用いられ続けたことにより、いつしか「抹香=煙臭い」という認識が一般の中に広がっていきました。

経済的に恵まれる今日に於いても、価格の安さや認識の欠如から葬祭場や火葬場で用いられる「焼香」は、以前のそれと同程度のものに、今様の合成香料を含ませた物が多く用いられています。

敗戦後、西洋文化が好まれ、フレグランス・香水が流行

画像はwikipediaより:ヨーロッパなどで好まれる「フレグランス」的なものが主流に

敗戦後は、アメリカなどの西洋諸国の思想、生活、カルチャーがもてはやされ、香りの嗜好もアジアや日本の「薫り」ではなく、ヨーロッパなどで好まれる「フレグランス」的なものや、ローズをはじめとする「花調系」のものが主流となってきました。

ヒッピー文化と共に、お香=インセンスが日本でも流行る

画像はwikipediaより:ヒッピーの聖地カトマンズにあるネパール最古の仏教寺院ともいわれる「スワヤンブナート」

1960年後半〜1970年代にはヒッピー文化が流行り、ヒッピーの聖地とされる「カトマンズ(ネパール)」や「ゴア(インド)」の文化を好んでいたので、現地のアイテムでもあった「お香=インセンス」も彼らに用いられ、日本の間でも「インセンス(合成香料の線香)が輸入され流行りました。

現在、自然に興味が集まり、再び「御香」が注目を集め始める

そして、現在はアロマテラピーやハーブが流行するなど、昔とは異なった「香り」の用い方が行われるようになりました。そして、身体によいことや癒されること、または自然に興味が集まりようになり、「伝統」「祈り」「天然」「癒し」などのエッセンスが詰め込まれた「御香」にも徐々に注目が集まり始めてきています。

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